on wings like eagles

日々ごはんを食べるように活字を食べて生きています。

『池上彰と考える、仏教って何ですか?』を読んで

最近、仏教やイスラム教、それから宗教全般に関わる本を少しずつ読み始めています。その理由は、キリスト教が他の宗教とどう違うのかを客観的に把握したかったからです。もちろんある程度のことは知っていますが、その知識はキリスト教に関する本から得たものが大半ですから、少なからずクリスチャン視点のフィルターがかかっていると思います。だから、そうではない情報源、つまりイスラム教や仏教の立場から書かれた書籍や、少なくともニュートラルな視点で宗教を比較した書籍を読まなくてはならないと思っています。

 

今回読んだのは池上彰さんの『池上彰と考える、仏教って何ですか?』という本。僕自身、池上彰さんのことはファンといっていいほどで、選挙がある度にテレ東の「池上無双」と言われるほどの選挙解説は楽しみにしていますし、非常に客観的な視点で書かれた世界情勢や社会問題に関するたくさんの文章は勉強になる点が多かったです。あと、最近読んだ佐藤優さんとの共著『僕らが毎日やっている最強の読み方』は、情報が氾濫している現代社会の中で、新聞、雑誌、本、ネットやSNSなど様々な情報ソースをどう使い、どう付き合っていくかについて、素晴らしい示唆を与えてくれた本でした。日本において、非常にバランスがとれていて、ジャーナリスティックな最新の事象を切り取れる知識人の代表格だと思っています。

 

さて、池上さんには宗教関係の書籍も多いです。うちにはもう一冊、『図解 池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本』があり、これはだいぶ前に読みました。世界情勢を読み解くには宗教を知らなければという本で、三大宗教に加えてユダヤ教ヒンドゥー教神道までざっと知識的な部分を解説した良著です。で、池上さんが仏教だけにターゲットを絞って書いたのが『池上彰と考える、仏教って何ですか』です。

 

この本によると、池上さんご自身はご自分を仏教徒と考えられているようです。ただそれは仏教が他の宗教とくらべていちばん馴染みやすく、「信仰がなくても」親しむことができる教えだからということのようです。日本の仏教の現状はやはり葬式のときにしか馴染みのないものという点は指摘されていて、池上さんは「生きた」仏教の教えについては、ダライ・ラマ法王との対談のかたちで提示しています。この対談でのダライ・ラマ法王の言葉は、とても真っ当で、クリスチャンの立場から見ても違和感なく読むことができます。池上さんが日本の経済成長の限界原発などエネルギー問題についての質問をされた文脈で、こんな法王の言葉がありました。

 

→全体的なものの考え方をすることができないため、その場限りの利益を追求することしか考えず、長い目で見るとどういう結果になるのかということを考えていないのです。こういうことはできるだけ避けなければなりません。こういった問題は私たち人間が作り出したものなので、論理的に言って、人間はそれを克服できる能力を持っているはずです。基本的に、自分が作り出した問題は、当然自分で解決できるものだと私は考えています

 

含蓄に富んだ言葉です。つい先日、アメリカの高校で銃の乱射事件、日本の原発の問題、北朝鮮問題、いろいろなことが念頭に浮かびました。大変理性的な発言ですし、僕もその通りだと思います。

 

しかし、最後の方でこのような箇所がありました。これは池上さんの地の文章です。

 

→だからといって、自分の死に心安らかに向き合える自信はいまひとつありません。十分生き抜いたという確信がなければ、安らかにそのときを迎えられそうにないからです。

ダライ・ラマ法王はこうおっしゃいました。

「意義ある人生を過ごすことができれば、死に直面したとき、たとえ死への恐怖があったとしても、後悔すべきことはほとんどありません。後悔することがなければ、死を恐れる気持ちもずっと少なくなります。」

 

十分生き抜いたり、意義ある人生でなかったとしても、安らかに安心して死ぬことができるようにするのが宗教の重要な役割のひとつではないのかな、と思います。その意味でキリスト教の救いはその役割を果たしていると思います。主イエスと共に死刑囚として十字架に磔にされていた罪人でさえ、死ぬ寸前に救われるくらいですから。しかし残念ながら池上さんはキリスト教の福音については理解をされていないようです。先の引用の直後の文章を引用します。

 

→「死」は人間にとって、もっとも大きなテーマのひとつですから、あらゆる宗教が死に対して大きな意味を置いています。ユダヤ教イスラム教・キリスト教では、生きている間によい行いをすれば、死後、永遠の命が得られるとされています。仏教でもやはり、よい行いをすれば、よい来世がやってくるとされています。死後の理想に違いはありますが、共通しているのは、生きている間の行いがポイントだということです。

 

池上さんにはすみませんが、この解説については声を大にして異議を唱えたいです。キリスト教の救いが神様からの一方的な恵みであること、善行を積んだ量に左右されないこと、ただ信じることだけが条件だということ、これはキリスト教の本当に根本的で一番重要な要素なのですが、池上さんほどの知識人が誤った理解をされているということに驚愕しました。キリスト教徒が日本では1%以下というのはよく言われますけれど、池上さんと同じような理解をされている人がほとんどの日本人の理解ではないかと思います。これでは結局宗教の救いの概念はどれも一緒だから、地域性に根ざした宗教がいいよね、だから日本人は仏教か神道だという結論にならざるを得ないでしょう。(神道に救いがあるかどうか、不勉強なので実は分かりません。これから神道についての本も読んでみます)日本での伝道って、こういうところから考えないとだめなのかなあと考えさせられました。

 

さて、結論として言えばこの本はとても平易な語り口で客観的に書かれた良著だと思います。池上さんも、「信仰がなくても」親しめる宗教だと言っているように、宗教というよりは哲学としての仏教として、なるほどと思える記述も多くありました。日本の檀家制度が江戸初期のキリシタン撲滅のために考えられたとか、とても勉強になるところもありました。仏教を客観的に捉えるための窓口になる本として優れていると思います。