on wings like eagles

日々ごはんを食べるように活字を食べて生きています。

ヘレン・シャルフベック展に行ってきました。

平日の午後、ふと思い立って休みを取り、ヘレン・シャルフベック展に行ってきた。この北欧の女性画家については全然知らなかったんだけど、少し前の日経新聞日曜版に特集が組まれていて、フィンランドの画家であること、大好きなシベリウスと同時代に生きた人であることから、興味を持っていたのだ。

上野にある東京藝術大学の美術館で開催されている。千代田線を根津駅で降り、少し歩いた。

純粋にシャルフベックの作品だけなので、全部で80数点、割と小ぢんまりとした展示。画家の生涯を追うように、年代別に5つのテーマに分けていて、作風の変化もわかりやすい。派手なところは全然ないんだけれど、フィンランドの自然を反映したかのような色づかい、自身障害者(幼い頃からずっと脚が悪かった)であることから来るのかな、描かれている人物の表情の、悲しみを湛えた優しさに心打たれる。予想外に良かったです。

個人的には初期の作風が好き。脚が悪いために自宅にこもりがちで、自画像を描くことが多く、死を見つめて描かれたかのような晩年の作品群は、画家の心情がリアルに表出されていて、見ていて少々辛いものもある。

絵ハガキを何枚か買いました。東京のあとは仙台、広島、神奈川の葉山へと巡回する予定。多分、何度も企画される種類のものではないから、これだけまとまった展示を見られるのは今回だけじゃないかな。

頭蓋骨陥没骨折顛末記

17334825616_866978606e_o備忘録として。

3月の終わり頃、大きな仕事が終わった解放感から、気が緩んで軽くアルコールが入った状態でサウナに入り、階段状になっているサウナの座席の上の方から寝落ちして転落、サウナの壁にしたたかに前頭部を打ち付けた。ぶつけた瞬間目が覚めて、サウナをすぐに出て水風呂で額を冷やしていたが、痛みがなかなか引かない。とりあえず風呂場を出て、鏡でぶつけたところを見ると内出血してる感じと、なんだかちょっと凹んでるような感じ。あれ?と思っているうちに鼻血が断続的に出てきて、これはやばいなと思って救急車を呼んでもらった。

ぶつけた瞬間から終始意識ははっきりしていたけれど、とにかく頭を打っているのだから脳の内部がどうなっているのか不安だ。全裸で運ばれるのも嫌なので、とにかく着替えて救急車を待つ。 田舎で夜なのに、救急車は割と早く来てくれた。担架に乗せられて車内へ。あれこれ話しかけられて、名前や年齢、ぶつけた時の状況などを聞かれる。血圧を測定したり、目の前に指をかざされて、何本に見えますかとか指の動きを追えるかなどをチェックされる。救急車はなかなか発車しない。搬送先が見つからないのだ。「ああ、これが例のたらい回しか」と思った。

救急隊員と電話の向こうのやり取りはすぐ近くだから聞こえるし。頭をぶつけているので、脳神経外科の診察ができるところをさがしてくれているのだが、なかなか見つからない。4軒目でやっと受け入れOKになる。この間、約30分ぐらい。少し離れた病院だったので、移動にも30分くらいかかる。緊急性のある患者なら、この間に命を落としてしまうこともあるんだろうなあと思った。 搬送されて、すぐにCTスキャン。少しして呼ばれて、説明を受ける。「意識もはっきりしているし、幸い今のところ脳にも損傷はないようです。」よかった。「でも、いいことばかりではなくて、ここのところ見てください」と担当の先生が画像を指し示す。「額のところ、頭の骨がここは二重になっていて空洞があるんですけれど、ここの外側の骨が折れてますね。」 陥没骨折の部位は前額洞というところだった。空洞は鼻につながっていて、鼻血はここが傷つけられたから出てきているのだろうとのこと。骨折は過去に3回経験しているが、頭の骨の場合、ギプスとかで固定はしない。関節じゃないから、してもしょうがないんだろう。なんならヘルメットでも被ったらいいわけだし。 結局その日は入院もせず、翌日もう一度見てもらい、悪化などしてないことを確認、自宅近くの病院で再度診察してもらえるよう紹介状を書いてもらい、CTスキャンのデータを貰った。

その後、自宅に近い病院に何度か通ったが、脳神経外科は最初だけで、そのあと形成外科に行くことに。脳に損傷がなければ、あとは見た目の問題なんだそうだ。ふうんと思ったけど、骨折の部位が凹んでくる可能性があり、そうなると骨が固まらないうちに手術をしたほうがいいという。手術ね、ちょっと額のところを切って、直す程度で日帰りかなと思っていたら、全身麻酔で、入院10日だという。しかも髪の毛を剃って、そのまんま東の額のラインみたいな感じで頭皮を切開して、ベロンとめくってとかちょっとやだ。そんなことになったら当面人前に出られなくなるではないか。先生は手術するなら骨が固まらない2ヶ月以内がいいという。(ちなみに大変美人で見た目もお若い先生でした。切られるならこの先生にならいいかもとちょっとだけ思った)でも結局、悩んだ末に手術はしないことに。どうせ40過ぎのおっさんが、今更見た目を気にしたところでどうなるということでもないし、機能的に問題ないならそんな大手術は回避すべきだろう、と。

飲酒は多少しても良いが、泥酔して同じところ打ったら、今度は命の保証はないからねと言われて、ちょっと控える気分に。趣味はランニングなのですが、走ってもいいですかと聞いたら、ランニングは結構体に衝撃が加わるので一ヶ月は控えるようにと言われて大いに凹んだ。

そして昨日、後天的な異常が脳に出ていないかどうかをMRI検査でチェック。脳自体には何の異常もなく、めでたく無罪放免。陥没骨折したところは相変わらず打撃などが加わらないよう注意する必要があるが、ランニングはしてもいいことに。早速今朝走ってきたけれど、2月ぐらいから仕事が立て込んだせいもあり、全く走っていなかったので、身体が鈍ってる鈍ってる。今月末に山中湖ハーフにエントリーしてるんだけど、まともに走れるんだろうか。

それにしても今回はいろいろと身に沁みて反省しました。はい。もう若くもないし、いろいろと気をつけます。

サントリー:登美の丘ワイナリーに行きました。

15900447967_d8078b2052_z

会社の研修が土曜日に石和温泉で行われ、翌日は帰宅のみで自由行動という予定になっていた。わざわざ甲府の辺りまで来ていて、何もせずに帰るだけというのも勿体無い。今年は会社のランニング同好会のイベントがあまりできていないので、折角だからということで、僕を入れて計4名でワイナリー巡りをしようということになり、当初は勝沼辺りを計画していた。でも結局、限られた時間で「ワイナリー巡り」というほどたくさん行けるわけでもなく、一点豪華主義ということで、サントリー登美の丘ワイナリーを選択。理由としては、以下3点です。

・事前予約の試飲セミナーが予約できた。(いきあたりばったりは嫌だったので)

サントリーの施設は白州蒸留所に行ったことがあり、質が高いのは知っていた。

・景色が綺麗そう

当日は石和温泉駅から在来線で竜王駅まで移動。ここからタクシーで15分ほどでした。竜王駅はモダンな感じですが、タクシーは全然いないので事前に読んでおくのが無難です。登美の丘の敷地は広大。景色は写真でもわかるように、晴天時の眺望は素晴らしいものがあります。甲斐駒ヶ岳の威容もさることながら、やはり甲府盆地越しに見る富士山は格別。まさに絶景でした。

予約していたセミナーは「日本ワイン特別セミナー」。当日いきなりいっても無料のワイナリーツアーと、1000円払って参加できる試飲ツアーは予約不要。わざわざ事前予約のセミナーに申し込んでいたのは、出てくるワインのクオリティがかなり良さそうだったので。このセミナーは4000円するのですが、赤白各2種類ずつの登美と貴腐ワインの計5種の試飲ができる。どれも普通に買ったらボトル1本が10000円〜12000円、貴腐ワインに至っては1本50000円! 少量ずつとはいえ、堪能させてもらいました。

15898927520_0713186403_z

試飲に先立って、葡萄畑の説明なども聞きました。説明員のお姉さんがとてもチャーミングだったのですが、非常に説明が上手で、よくよく勉強しているんだろうなという気がしました。

あとはワインショップでお土産のワインを買い(せっかくなので、登美の丘限定の物をあげるようにしていました。)、甲府駅で食事をした後、解散しました。

ランニングと何の関係があるんだといわれそうですが、フランスにはメドックマラソンというレースがあります。メドックマラソンではエイドで出される睡眠補給用の水分が水ではなくワインだと聞いています。ワイナリーツアーは気分だけでもメドックマラソンを味わえたかな?とも思います。(苦しい言い訳)

文章の力:「壁と卵」(村上春樹 雑文集より)

いま、『村上春樹雑文集』を読んでいます。そこに含まれている「壁と卵」 エルサレム賞受賞のあいさつについて、いつぞやツイートもしたのですが、ちょっとまとめておきたくて、ブログにも書いておくことにします。

この「雑文集」にはデビュー当時から最近に至るまで、いろいろな村上春樹氏の未発表の文章が載せられているんですけれど、雑文集というタイトルから想起される内容よりは、結構重くて、読み応えがある文章がたくさん収録されています。なんとなく最初の方から読んでいったのですが、「壁と卵」にさしかかったところで、ちょっとした違和感を覚えました。

エルサレム賞受賞のスピーチは、その当時かなり話題になったので、僕もネットで目にしていました。未発表じゃないよね~と思いつつ読んでいったのですが、なぜか読み進めるうちに目頭が熱くなってきてしまう。あれ? 以前に読んだとき、こんなに感動したっけ? 書いてある内容は確かに同じだと思うんだけど。 ネットで読んだ文章は横書きだったから、こうして本に収録されるにあたって縦書きになり、それで印象が変わったんだろうかなんて思ったのですが、どうもそれだけではないような気がする。そう思って調べてみたところ、授賞式当時、ネットに掲載された文章は、第三者の手による翻訳でした。スピーチ自体は英語でされていたのです。

 

で、「雑文集」に収録されているのは、紛うかたなき村上春樹氏自身の手による日本語。この文章が先にあり、ここから英語のスピーチ原稿が作られたのか、英文のスピーチ原稿が先にあり、氏自身が翻訳をしたのかはわかりません。いずれにしても、本人の文章であることは間違いないです。それが分かって初めて、ああ、違和感の原因はこれだったかと納得しました。同じ内容について書かれていても、こうも印象が変わってくるのか、これこそ文章の力なんだなと。試しにどれくらい違うのか、並べてみようと思います。ごく一部をネットと雑文集から引用してみます。

「しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。」 → こちらは当時ネットであがっていた翻訳文。

「しかし熟考したのちに、ここにくることを私はあらためて決意いたしました。そのひとつの理由は、あまりに多くの人たちが「行くのはよした方がいい」と忠告してくれたからです。小説家の多くがそうであるように、私は一種の「へそ曲がり」であるのかもしれません。「そこに行くな」「それをやるな」と言われると、とくにそのように警告されると、行ってみたり、やってみたくなるのが小説家というもののネイチャーなのです。なぜなら小説家というものは、どれほどの逆風が吹いたとしても、自分の目で実際に見た物事や、自分の手で実際に触った物事しか心からは信用できない種族だからです。 だからこそ私はここにいます。来ないことよりは、来ることを選んだのです。何も見ないよりは、何かを見ることを選んだのです。何も言わずにいるよりは、皆さんに話しかけることを選んだのです。」 → こちらは村上春樹氏自身の文章。

言葉に込められている力が違いますね。

村上春樹『やがて哀しき外国語』を読みました。

結構前に書かれたエッセイだけど、やっと読むことができた。 村上春樹プリンストンに客員で招かれていたときのあれやこれやのエピソード。 本人も前書きで記しているんだけれど、随分ストレートな意見が書き込まれている。 特に日本の大学受験とか、国家公務員の偉ぶりの所とか、確かに読んで傷つく人もいるかもしれない。(これまた本人もそう断りを入れている) もし他の誰かが書いているなら僕自身もちょっとかちんとくるような意見もあったけれど、村上春樹が書くとそんなに腹を立てるようなことでもないように思えてくる。結局僕は書かれている内容それ自体よりも、村上春樹の文体そのものが好きだったりするので。とくに、「である調」で文章が続いているところに、ちょっとしたオチを語るときに入れられる「ですます調」の効果、絶妙です。これは本当に効果的で、海外で氏の作品が人気あるのは分かるけれど、こういう日本語の絶妙な表現は翻訳しきれないだろうなと思うと、日本語で氏の作品が読めるのは幸せだなと思う。

それから、「アメリカで走ること、日本で走ること」という一節があって、ここは楽しく読んだし、ランナーの端くれとしても全面的に賛成。特に昨今のマラソンブームで、レースに出るのに申し込みの段階から苛烈な席取り合戦があるのはどうなのと思っているので、アメリカの草レースみたいに当日ふらっと参加できるようなレースが日本にもあっていいのにな、とはよく考える。

それにしても、僕が村上春樹を「再発見」したのは『走ることについて語るとき僕の語ること』を読んでからなんだけれど、それよりもずっと前に村上春樹はあちこちのエッセイではランニングについて書いてるんだよね。『走ること~』で氏がランナーだったことを初めて認識した人も多いと思うけど(僕もそのひとり)、小説作品にランニングのことがほとんど出てこないからなのかもしれない。僕が覚えている限り、『羊をめぐる冒険』と『納屋を焼く』ぐらいかな、走るシーンがはっきり出てくるのは。もっとあるのかも知れないけど、印象には残っていない。いつかマラソンについての小説を書いてくれないかなとは思うけれど、氏の作風を考えると、ちょっとそれは想像しにくいとも思う。