on wings like eagles

日々ごはんを食べるように活字を食べて生きています。

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。

本当に暑い毎日が続きますね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

僕の方は、5月末ぐらいから、あるプロジェクトの件で急激に忙しくなってしまい、そこからなかなか抜け出せないでいます。自分の能力不足も大いにありますが、プロジェクト自体に無理難題な部分が結構あり、悩み苦しむ毎日を過ごしています。特に6月はひどい状況で、何度か徹夜もあったりして、勤務時間も280時間を超えてしまいました。休日も心から休まることがなく、いつも何かに追われている感じがあります。

 

先週会社から義務付けられているストレスチェックをやりましたけど、すごくネガティブな回答になってしまいました。嘘をついても仕方ないし、プライバシーには配慮されるとあるのですが、人事部経由で産業医さんからお呼びがかかるかも?

 

僕の愛唱聖句のひとつにヨハネ16−33「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」がありますが、まさに主イエスの言われる通りだなと思います。クリスチャンになったからといって、この世では平穏で幸福な生活が得られるわけではなく、むしろ却って、苦難のほうが多くなると。でもその苦難のひとつひとつには意味と主の御計画があって、最終的には僕らは良き方向に導かれるはずなんだと。そのことを僕は信じていいし、信じられる。だからあなたは絶望せずに、「勇気を出しなさい」、信じて生きていきなさいと。励まされる箇所です。

 

まだまだ当面しんどい局面は続きますが、日々祈って前に進もうと思います。

 

大好きな読書も全然はかどらなくなってしまいましたが、並行してあれやこれやを読んでいます。今読んでいるもの:

 

『境界線(バウンダリーズ)』ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント

『幸福論』カール・ヒルティ (第2巻の途中から進まない!)

『紙の動物園』ケン・リュウ

『労働法入門』水町勇一郎

 

あと、ティモシー・ケラーの『この世界で働くということ』、しばらく前に読了しました。これはとても考えさせられる作品で、僕自身も、今の自分の状況と照らし合わせて「働くということ」について、もう一度考えてみたいと思います。

 

 

今日の読書から: ヘンリー・クラウド『リーダーの人間力』

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とある方から教えていただいた本。タイトルとか副題からは、よくあるHow toもののビジネス本っぽい感じがします。ただ、原題は"Integrity"となっていて、これは「正直、高潔さ、全体が統合されている」といった意味合いです。著者のヘンリー・クラウドはクリスチャンで、キリスト教関係の書籍もいろいろ出しているようです。

 

まだ読み始めたばかりなのですが、ビジネス書でありながら、かなり心の問題を扱っていて、とても聖書的な視点から書かれているなあと思いました。『七つの習慣』と似た匂いがします。例えば、この本で扱われている6つの重要な資質の第1番目が「信頼を確立する」なんですが、ビジネスをはじめ、一般的な社会の中で最も普及しているWin-Winの関係についてこう書かれています。

 

→ この考え方はある意味フェアである。古来からの「目には目を、歯には歯を」である。自分によくしてくれる人にはよくするが、よくしてくれない人は忘れてしまえということだ。結婚生活や人間関係が破局を迎える大半の原因がここにある。男女が愛し合い、惜しみなく与え合う。しかし、そこに生まれる愛情や与えるという行為は「条件つき」だ。お互いが与え合う理由は自分がもらうからだ。自分がありがたいと思うので、「お返し」に与える。相手がくれる限り、こちらも与える。(中略)しかし、私が自分の務めを十分に果たせない時あなたに見捨てられるとすれば、私はいつも怖れ、防御の姿勢でいなければならない。いつ何時あなたの支援を失うかもしれないからだ。かくして人は信頼ではなく、恐怖の中に生きることになる。(中略)本当の信頼は三つめの状態において成り立つ。すなわち、相手からの好意が何にも依存せず、無条件のものであると認識する時である。これはその人のインテグリティの一部である。その人が「何者なのか」であり、相手に最上のことを望み、そのためにできることは何でもしようとする人間性である。それがあれば、恐れるものはない。私がミスをしてもあなたが助けてくれる。私が見ていなくとも、あなたは私のために力を尽くしてくれる。とはいえ、あなたは私の間違いを無視したりはしない。私の不十分なところは、介入したり強い手段に訴えたりして、私に直視させてくれる。

 

引用が長くなりましたが、山上の垂訓をはじめ、聖書のあちこちの箇所が思い起こせますし、ここにある「本当の信頼」というのは、神様と私たちの関係の縮図そのものですよね。ビジネス書はそんなに好きではないのですが、本書は聖書的背景を持って書かれていることがよく分かるので、納得感を持って読み進めています。全部読み終わったら、また全体的な感想を記してみたいと思います。

 

風邪で数日寝込みましたが、病床でそれなりの量の読書ができたことは良かったかなと思います。

 

 

『池上彰と考える、仏教って何ですか?』を読んで

最近、仏教やイスラム教、それから宗教全般に関わる本を少しずつ読み始めています。その理由は、キリスト教が他の宗教とどう違うのかを客観的に把握したかったからです。もちろんある程度のことは知っていますが、その知識はキリスト教に関する本から得たものが大半ですから、少なからずクリスチャン視点のフィルターがかかっていると思います。だから、そうではない情報源、つまりイスラム教や仏教の立場から書かれた書籍や、少なくともニュートラルな視点で宗教を比較した書籍を読まなくてはならないと思っています。

 

今回読んだのは池上彰さんの『池上彰と考える、仏教って何ですか?』という本。僕自身、池上彰さんのことはファンといっていいほどで、選挙がある度にテレ東の「池上無双」と言われるほどの選挙解説は楽しみにしていますし、非常に客観的な視点で書かれた世界情勢や社会問題に関するたくさんの文章は勉強になる点が多かったです。あと、最近読んだ佐藤優さんとの共著『僕らが毎日やっている最強の読み方』は、情報が氾濫している現代社会の中で、新聞、雑誌、本、ネットやSNSなど様々な情報ソースをどう使い、どう付き合っていくかについて、素晴らしい示唆を与えてくれた本でした。日本において、非常にバランスがとれていて、ジャーナリスティックな最新の事象を切り取れる知識人の代表格だと思っています。

 

さて、池上さんには宗教関係の書籍も多いです。うちにはもう一冊、『図解 池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本』があり、これはだいぶ前に読みました。世界情勢を読み解くには宗教を知らなければという本で、三大宗教に加えてユダヤ教ヒンドゥー教神道までざっと知識的な部分を解説した良著です。で、池上さんが仏教だけにターゲットを絞って書いたのが『池上彰と考える、仏教って何ですか』です。

 

この本によると、池上さんご自身はご自分を仏教徒と考えられているようです。ただそれは仏教が他の宗教とくらべていちばん馴染みやすく、「信仰がなくても」親しむことができる教えだからということのようです。日本の仏教の現状はやはり葬式のときにしか馴染みのないものという点は指摘されていて、池上さんは「生きた」仏教の教えについては、ダライ・ラマ法王との対談のかたちで提示しています。この対談でのダライ・ラマ法王の言葉は、とても真っ当で、クリスチャンの立場から見ても違和感なく読むことができます。池上さんが日本の経済成長の限界原発などエネルギー問題についての質問をされた文脈で、こんな法王の言葉がありました。

 

→全体的なものの考え方をすることができないため、その場限りの利益を追求することしか考えず、長い目で見るとどういう結果になるのかということを考えていないのです。こういうことはできるだけ避けなければなりません。こういった問題は私たち人間が作り出したものなので、論理的に言って、人間はそれを克服できる能力を持っているはずです。基本的に、自分が作り出した問題は、当然自分で解決できるものだと私は考えています

 

含蓄に富んだ言葉です。つい先日、アメリカの高校で銃の乱射事件、日本の原発の問題、北朝鮮問題、いろいろなことが念頭に浮かびました。大変理性的な発言ですし、僕もその通りだと思います。

 

しかし、最後の方でこのような箇所がありました。これは池上さんの地の文章です。

 

→だからといって、自分の死に心安らかに向き合える自信はいまひとつありません。十分生き抜いたという確信がなければ、安らかにそのときを迎えられそうにないからです。

ダライ・ラマ法王はこうおっしゃいました。

「意義ある人生を過ごすことができれば、死に直面したとき、たとえ死への恐怖があったとしても、後悔すべきことはほとんどありません。後悔することがなければ、死を恐れる気持ちもずっと少なくなります。」

 

十分生き抜いたり、意義ある人生でなかったとしても、安らかに安心して死ぬことができるようにするのが宗教の重要な役割のひとつではないのかな、と思います。その意味でキリスト教の救いはその役割を果たしていると思います。主イエスと共に死刑囚として十字架に磔にされていた罪人でさえ、死ぬ寸前に救われるくらいですから。しかし残念ながら池上さんはキリスト教の福音については理解をされていないようです。先の引用の直後の文章を引用します。

 

→「死」は人間にとって、もっとも大きなテーマのひとつですから、あらゆる宗教が死に対して大きな意味を置いています。ユダヤ教イスラム教・キリスト教では、生きている間によい行いをすれば、死後、永遠の命が得られるとされています。仏教でもやはり、よい行いをすれば、よい来世がやってくるとされています。死後の理想に違いはありますが、共通しているのは、生きている間の行いがポイントだということです。

 

池上さんにはすみませんが、この解説については声を大にして異議を唱えたいです。キリスト教の救いが神様からの一方的な恵みであること、善行を積んだ量に左右されないこと、ただ信じることだけが条件だということ、これはキリスト教の本当に根本的で一番重要な要素なのですが、池上さんほどの知識人が誤った理解をされているということに驚愕しました。キリスト教徒が日本では1%以下というのはよく言われますけれど、池上さんと同じような理解をされている人がほとんどの日本人の理解ではないかと思います。これでは結局宗教の救いの概念はどれも一緒だから、地域性に根ざした宗教がいいよね、だから日本人は仏教か神道だという結論にならざるを得ないでしょう。(神道に救いがあるかどうか、不勉強なので実は分かりません。これから神道についての本も読んでみます)日本での伝道って、こういうところから考えないとだめなのかなあと考えさせられました。

 

さて、結論として言えばこの本はとても平易な語り口で客観的に書かれた良著だと思います。池上さんも、「信仰がなくても」親しめる宗教だと言っているように、宗教というよりは哲学としての仏教として、なるほどと思える記述も多くありました。日本の檀家制度が江戸初期のキリシタン撲滅のために考えられたとか、とても勉強になるところもありました。仏教を客観的に捉えるための窓口になる本として優れていると思います。

 

 

 

 

 

 

『カラマーゾフの兄弟』読了

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学生時代に、それから社会人になってからも何度か挑戦してそのたびに挫折して投げ出したドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。この度めでたく?約3ヶ月かかって読み終えることができました。

 

人類の文学史上、最高傑作との呼び声も高い本作品ですが、以前の僕にはなにがどう面白いのかさっぱりわからなかったです。一応文学部出身で、幼少の頃から読書好きを自認していたのですが、ロシア文学は苦手で、、、 登場人物の名前が長い上に愛称が数パターンあって、途中でだれが誰だかわからなくなったりするし、暗くて陰鬱な話が多いような気がするし、でも食わず嫌いはだめだろうと実際に何度か読んでみたんです。日本の数多の文豪は言うに及ばず、あの村上春樹氏も愛読したという作品、必ず何か途方もない魅力があるんだろうと...

 

でも、冒頭の修道院でのエピソードですぐ挫折しました。やたら意味のないような長ったらしい会話が続くし、当時は修道院でゾシマ長老が話し出すと、「ああ、宗教くさい抹香臭い話だな、もうダメダメ」って感じで拒否反応が出てしまって。さらに後で殺される兄弟の父親、フョードルのしゃべくりがもう癖が強すぎて読んでいられない、こんな感じで先に読み進められませんでした。

 

最後の挫折から15年以上経ったでしょうか。その間に僕はクリスチャンになりまして。その後、例えば映画の「ベン・ハー」をものすごく久しぶりにDVDで観たら、昔観たとき理解できなかったり、面白いともなんとも思わなかった描写にえらく感動するという経験をしました。それから岩波文庫に入っているヘンリク・シェンケーヴィッチの『クオ・ワディス』を読んで、これまた魂が揺さぶられるような感動を覚えたり(この小説は素晴らしいですよ。訳が素晴らしくて、もう神がかっています。)して、ああこれはクリスチャンになる前と後で、随分ものの見方が変わったんだなあという実感がありました。この間、亡くなられた日野原先生の本を読んでいたら、よど号ハイジャック事件でハイジャック犯に脅されつつ、死と隣り合わせの状況の中で日野原先生が読んでいた本が、この『カラマーゾフの兄弟』だったというくだりがあり、そうだ、今だったらひょっとしたら最後まで読めるかも、と思いKindle新潮文庫に入っている原卓也氏訳を購入、毎日少しずつ読み進めました。

 

本当に不思議なもので、あれだけ読み辛かったのに、今回はスラスラと、まではいかないのですが、ある程度楽しんで読むことができたのです。またある箇所では大変な感動を憶えもしました。

 

読了前の、あちこちから聞きかじった僕の『カラマーゾフの兄弟』に対する知識ですが、「父殺しの話である。その殺害についての推理小説及び法廷ものっぽい展開がある」、「スメルジャコフという癖のある人物が出てくる。(村上春樹さんのエッセイのタイトルか何かでも見た記憶があります。あと、スルメジャコフだと以前は思ってました。ちょっと美味しそうな名前だなと)」、「大審問官の章が有名で、なにやら凄いらしい」くらいでした。

 

読了後ですが、「アリョーシャ(カラマーゾフ兄弟の末っ子)の存在が癒やし」、「女心と秋の空」、「レビューなどであまり触れられていない、ガリラヤのカナの章が素晴らしすぎる」という感想を得ました。大審問官の章も含め、多くの重要箇所がほとんど登場人物の会話で構成されているのに対し、ガリラヤのカナの章はドストエフスキーによる情景描写と、アリョーシャの心情描写で構成されています。その素晴らしいこと、美しいこと。圧倒的な筆力ですよ。訳文ですらそう思えるのですから、ロシア語原文が理解できていたらどんなに良かったか、と思いますけどね。ちなみに「ガリラヤのカナ」はヨハネによる福音書に出てくる、主イエスが結婚式に参加して、水を葡萄酒に変えるという最初の奇跡を行われた有名なエピソードですね。このカナの婚礼の幻視が、自分の師の弔いの場にアリョーシャに現れ、死と生と、悲しみと喜びとが交錯し、全てが愛のうちに赦され、肯定される箇所です。僕はこの箇所の思想が、作品全体を覆っていると感じました。(しかしこの箇所、読めばわかるのですが、クリスチャンでなかったらそれほどの感動はなかったかもしれません。だからレビューにもほとんど出てこないのかも)

 

まあいずれにしても、あれこれ語るにはあまりに多くのものを内在している作品で、やっと一回読んだだけでは、軽く感想を述べる程度しかできません。そういう意味では聖書にも似ていますよね。一度読了することで、作品全体の構成やストーリーはしっかりとつかめましたので、また再読してみようと思います。つぎは読みやすいと定評のある光文社古典新訳文庫版で読んでみるつもりです。

 

どうでもいいのですが、ゾシマ長老は、僕の中ではスター・ウォーズヨーダ師のイメージです。

 

 

豆虎: 赤坂の飲み屋街の中で珈琲豆を売るお店

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所用があり、久しぶりに夜の赤坂の街を歩きました。夜中からの仕事があるので、どこかで一杯というわけにもいかず、そうなると夕食をとるのに適しているのはラーメン屋ぐらい。さっとラーメンを食べて、歩いていると魅惑的な焙煎香が漂ってきました。赤坂って特に韓国系のお店が多い飲み屋街の印象が強くて、こんなところに珈琲豆を売る店があるのかとびっくりして、香りに誘われるままにふらふらと入店。店内は甘い焙煎の香りで満たされていました。

 

焙煎の香りっていいですよね。相当なマニアでないと、自宅で焙煎まではしないと思いますが。

 

そこは「豆虎」という名前の、開店して二年未満のまだ新しいお店でした。僕が豆のラインナップを物色していると、お店のお姉さんがブレンドを試飲させてくれるというのです。もう飛んで火に入る夏の虫状態とはこのことです。喜んでいただきました。珈琲豆を扱うお店としては、いわゆるスタンダードなブレンドは、お店の特色を打ち出す看板みたいなものだと思っています。ブレンドの味でその店のセンスが分かると思います。豆虎のそれは「赤坂ブレンド」というのですが、嫌味のないすっきりした苦味なのに、特徴的な深いコクがあって、とても美味でした。それで思わず200g買ってしまいました。値段は200gで1,200円なので、まあそれなりなのですが、おまけでその場でアイスコーヒーかホットコーヒーを一杯分サービスしてもらえるので、得した気分になれました。他のシングルオリジンの豆もいろいろ良さそうなのがありましたが、今回は仕事が迫っていたので…

 

喫茶店としての機能もあるようなので、また今度、時間のあるときにゆっくりきてみたいお店です。珈琲好きな方で近くにお勤めでしたら、一度足を運ばれては?

 

https://www.mametora.jp

 

 

 

 

 

 

コーヒーを淹れるという行為

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コーヒーが好きで、自分でもよくハンドドリップで淹れます。手動のミルで豆をガリガリと挽いて、ペーパーフィルターで淹れるんですけど、面倒に思えるこの行為が、僕は結構好きだったりします。料理だって、食べるだけじゃなくて、作る行為そのものが好きな人もいますよね。

 

僕はコーヒーの味よりも、ひょっとすると香りの方が好きなのかも知れません。豆を挽いている時の香ばしい香りや、挽いた後のコーヒーの粉末が最初の蒸らしのお湯数的を吸った後に、ふわりと香りが立つ瞬間、そういう瞬間を愛しています。いつか、許されるなら喫茶店をやって、ひたすら一日中コーヒーを淹れる生活をしてみたいです。

 

そんな僕なので、昨日たまたま某所の特設カフェをボランティアで手伝ったんですが、100杯以上コーヒーを淹れましたけど、全部電動のコーヒーメーカーだったので、悲しいというか欲求不満というか、やるせない気持ちになりました。ただ、たくさんお客さんが来る喫茶店では、いちいちハンドドリップで淹れていると時間がかかり過ぎて仕方ないので、時間短縮のためにはやむなしというところです。

 

どうでもいいんですけど、聖書の時代にはコーヒーは存在してなかったみたいですね。ベルギーにはよくあるように修道院でビールを作っていたところは多いのですが、南米やアフリカなどのコーヒー豆の産地で、修道院や教会がコーヒーを生産していた例はあるのでしょうか。書いていて疑問に思ったので、ちょっと調べてみようと思います。

ダンケルク観てきました。IMAX凄い。

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パンフレットの表紙です。苦難の主人公トミーの後ろ姿。



クリストファー・ノーラン監督の最新作、「ダンケルク」を観てきました。IMAXで観るべき映画という噂をやたら聞くので、会社帰りにIMAXがある109木場へ。いやあ、まさに百聞は一見にしかず。IMAXで良かったです。(実は今回が初のIMAX体験でした。4DXは観たことあるのですが)

 

なぜIMAXで見るべきかというと、もともとノーラン監督はこの作品をIMAXフォーマットで撮っていて、画面いっぱいに広がるダンケルクの海岸や桟橋を埋め尽くす兵士の群れなど、IMAX以外のフォーマットだと、画面サイズが小さくなって上下が20%ぐらい切れるらしいです。もちろん広いスクリーンも重要なのですが、それ以上にウェイトが大きいのが、音響と振動の凄さ。銃声がリアル過ぎて何度も首をすくめたり。音楽をハンス・ジンマーが担当しているのですが、秒針を刻むような音や、心臓の鼓動のような音をアレンジしたBGMなのか、ただの効果音なのかわからない音楽が、観ているこちらの体を震えわせるような感じで迫ってきて、自分自身も劇中に取り込まれているような錯覚がありました。たぶんIMAXじゃない映画館で観ていたら、この映画に対してまったくちがう感想を持っていたかもと思います。

 

舞台は戦場ですが、戦争映画としてのヒロイズムみたいなものは皆無です。この作品を観たら、戦争なんて放り出して、こんなひどい目に遭う前に故郷に帰りたくなること請け合いです。パニック映画に近い感じかな。極端に台詞も少なく、説明的なシーンや回想シーンは一切なく、その瞬間瞬間を描き続け、観客は劇中と同じ時間を共有して戦慄するという、なんというか稀有な映画体験ができました。106分というのは映画としては短めの尺かと思いますが、ひたすら緊張感の中に置かれていたので、随分長い時間が流れたような気がしました。

 

 

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109木場の入り口。IMAXの表示があります。

 

できたらもう一回IMAXで観たいです。パンフレット、今回も買いましたが内容が濃くて秀逸です。