on wings like eagles

日々ごはんを食べるように活字を食べて生きています。

朝早く起き、夜おそく休み

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朝早く起き、夜おそく休み 焦慮してパンを食べる人よ それは、むなしいことではないか 主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。


‭‭詩編‬ ‭127:2‬ ‭新共同訳‬‬

 

有名な詩篇ですが、「朝早く起き、夜おそく休む」ことが宿命である日本の典型的なサラリーマンとして、この一節はずっと心に引っかかっていました。そりゃ、朝は比較的遅く起き、仕事は定時で上がって夕食は家族と摂って、十分な睡眠が取れたらどんなに良いかと。でもそうしたくても仕事は少なくならないし、神様も酷なことを仰る、とちょっと恨み節でこの箇所を見ていました。

 

今回、何度目かの通読で、この箇所に行き着きました。ふと、英語版(NIV)を参照する気になったのですが、すぐ前段の第1節と合わせてみると、

 

Unless the Lord builds the house, the builders labor in vain.

Unless the Lord watches over the city, the guards stand watch in vain.

In vain you rise early and stay up late, toiling for food to eat— for he grants sleep to those he loves.

‭‭Psalms‬ ‭127:1-2‬ ‭NIV‬‬

 

アンダーラインしましたけど、第1節ではUnless the Lordとin vainが対になっています。第2節ではin vainだけありますけれど、同じようにunless the Lordが対の関係にあると見て取れると思います。要するに「主が共におられないのであれば」朝早く起きて、夜おそく休むことは「むなしい」ということだったのです。

 

仕事が忙しくなって、「焦慮」するようになると、ついつい祈ったりする精神的な余裕がなくなったりします。でもいつも神様は共にいてくださいます。「主が共におられない」のではなく、僕らが主の存在をついつい忘れがちなだけなのです。

 

ともにいてくださる主を忘れずに、感謝のうちに歩むならば、どんなに多忙で激務であっても、きっと心の持ちようは全然変わってくるのではと思いました。

 

 

 

 

温泉に浸かりながら考えたこと

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久々の更新です。4月から、とある組織に出向して、早くも半年以上が過ぎました。この間、様々な得難い経験と大きな恵みが与えられました。そのことを詳しく語るのはまたの機会にして、昨日地元の温泉施設に行った時に考えたことを、今日は書きたいと思います。

 

千葉県はもともと温泉地ではないです。でも最近は1000メートルくらいボーリングすると、日本は大体どこでも温泉が湧くらしく、2年ほど前だったでしょうか、我らが佐倉市にも待望の温泉施設ができました。うちから車で15分くらいですが、茶色くて、かなり塩分の高い、それでいて滑らかで柔らかい肌触りを持つ、なかなか良質な温泉です。しかも源泉かけ流しの露天岩風呂もあり、週末は地元客でかなり賑わっています。

 

さて、露天風呂にのんびり浸かりながら、周囲の入浴客の会話をなんともなしに聞いていた時に考えたことなんですが、温泉って、リラックスして、だらだらするところなんだなあ、と。みんな裸で、心地よいお湯に浸かっていると、攻撃心とか敵対心ってなくなるんだなあ、と。誰も口喧嘩とかしないんですよ。なんというか、そういう殺伐とした雰囲気を作りようにない場所です。

 

一方サウナは、割と殺伐としています。あれは修行に似ているからかな? みんなサウナでは押し並べて無口です。熱いのに耐えて、もう限界!って時にサウナを出て水風呂に飛び込むのはなかなかの快感ですけれど、ちょっと滝行みたいなところありますよね。隣同士一緒にサウナに座りながらも「より早く根をあげたら格好悪い」なんて思っているんでしょうか。あと、サウナは狭い密室なので、例え知人友人で一緒にいたとしても、日本人としては他の人の迷惑を慮って喋らないということもあるかもしれません。この辺、開放的な露天風呂と違うところでしょうね。

 

この日はそんな下らないことを考えながら、岩風呂に浸かっていました。ちなみにここは床屋も館内にあり、1300円でカットをしてくれます。QBカットハウスとほぼ同じ値段。QBもよく行きますけど、ここは襟足の処理は剃刀でしてくれるし、眉毛元整えてくれて、しかもすぐにお風呂で頭も洗えてさっぱり気持ちいいので、時間がある時は必ず床屋のついで?でここの温泉に来るようにしています。

 

また一ヶ月〜二ヶ月のうちに来ると思います。

 

 

自宅で珈琲豆焙煎、初体験。

前からやってみたかったコーヒー豆焙煎に、チャレンジしてみました。コーヒーは大好きなんだけど、自分で焙煎することは全然考えていなかったのですが、つい先日、ある方から「簡単だから絶対やるべきよ!」と強く勧められて道具と生豆をAmazonに注文しました。

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道具といっても何万円もする焙煎機ではなく、銀杏を炒る蓋つきの網、これだけです。後は自宅で鍋をやるときに使うカセットコンロ。網は想像していたよりは大きくて、写真のように小さめのフライパンぐらいあります。1800円くらいでした。

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生豆は初めてだったので200gずつ、銘柄の違うものを5種類入れたセットを購入。全部で1kgですが、2400円ちょっと。普段200gで600〜1200円ぐらいのを買っているので、かなり安いと感じました。

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まず、虫が食っていたりカビていたりする不良豆を取り除いていきます。今回はコスタリカの豆を使いました。初めてなので、よくわからないまま、怪しいと思うものを選り分けて行きます。小さな穴が空いていたり、明らかに変色していたりする豆、大きさが極端に小さかったり大きかったりする豆などなど。写真では10分の1くらい分けましたが、神経質になりすぎたかな? 豆が小さいのは入れておいても良かったかも。

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網に入れてカセットコンロの火で炙っていきます。火加減がわからず、最初は強火過ぎて焦がしてしまい、一部豆を取り除きました。その後は慎重になり過ぎ、あまりに弱火で時間がかかりました。

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ある程度色付いてくると、パチパチと豆が爆ぜる音がしてきます。コーヒー豆を焙煎しているお店特有の、あの心地よくも懐かしい香りが漂ってきます。しかし、初めてなので、どの辺でやめたらいいかよくわかりません。もう、ヤマ勘でこんなもんだろうというところで加熱をやめ、寒い廊下で皿にあげて冷ましました。

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写真で見るようにだいぶ豆の色がバラバラです。チャフと言われる豆の薄皮も見えますが、焙煎の過程でこれが大量にコンロ周りに飛び散ります。キッチンのコンロだと汚れたときの後始末が少々面倒ですが、カセットコンロはこの点は楽ですね。掃除しやすいです。さて、いざ挽いて、ペーパーフィルターで淹れてみたら、ちゃんとコーヒーの味がしました。そりゃあ、香りも味わいも今ひとつでしたけど、自分で焙煎したことで気分は上がりましたね。

 

ノウハウが溜まったら、火加減とか時間とか、なにがしかのコツをまとめたいと思いますが、最初は超適当な上記のレポートで。

 

大事なことは、本当に簡単にできること、コーヒー好きなら一度はトライしてみるべき作業だということです。

 

 

久々のランニング

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昨年は仕事で色々と困難が積み重なり、精神的にもかなり追い詰められた一年でした。僕にとって走ることは趣味と体調管理を兼ねていましたし、走ること自体がとても好きだったのですが、4月末を最後に定期的に走ることをやめてしまい、結局その後、昨年末までに走ったのはたったの4回でした。仕事の精神的なストレスが積み重なり、朝起きられない、休日も気分が乗らないといったことがずっと続いていたからです。これくらい走らなかったのは、2006年に走り始めてから初めてのことです。

 

今日は本当に久しぶりに走りに行きました。5kmも走っていないのですが、そしてブランクがかなりあったこともあり、思うように身体は動かなかったのですが、それでも走れたことは楽しかったです。今年は走る習慣を取り戻したい、またそれに伴い、仕事であまりに自分を追い詰めすぎないようにしようと、そう思っています。困難の中で示された道もありました。もちろん仕事は重要です。僕らは生活していかなければいけないし、そのためにお金も必要です。でも仕事が全てではないし、一番重要なことでもないのです。そのことに気付かされた2018年だったと思います。

 

 

 

夏休みの終わり&ギターレッスンのこと

今日で夏休みが終わります。今年は仕事が忙しく、例年であれば5日間取れていた休みが、3日間になってしまいました。また明日から仕事が始まります。この休みの間は、旅行や帰省はできなかったのですが、普段会えない人と会ったりして、それなりに忙しく過ごしました。僕自身のトピックとしては、ギターを習いに行けたことがあります。これまで独学でコードをちょこっと覚えてみたり、YouTubeで動画を見て真似したりしていたのですが、全然うまくならず、かつ下手なりに一所懸命やって、少しずつ上達するわけでもなく、非常に中途半端なところで止まってしまっていました。今回はじめて、プロ(しかも相当な大家:名前は言えませんが)に教えていただくことができて、特に左手の使い方など目からウロコが落ちました。少しだけ基本中の基本、コツを教わっただけなのですが、今後の目標設定ができたというか、地道に続けていくための糧を得られたというか、とにかく収穫は多かったです。これまで、楽器を教わるということがなかったので。まず目標として、クリスマスまでに定番のクリスマスソングを2,3曲弾けるようになりたいと思います。

仕事はここのところずっとつらい状態なのですが、こうして仕事以外に張り合いが出てくると、仕事に対する元気ももらえるかなと思って。

あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。

本当に暑い毎日が続きますね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

僕の方は、5月末ぐらいから、あるプロジェクトの件で急激に忙しくなってしまい、そこからなかなか抜け出せないでいます。自分の能力不足も大いにありますが、プロジェクト自体に無理難題な部分が結構あり、悩み苦しむ毎日を過ごしています。特に6月はひどい状況で、何度か徹夜もあったりして、勤務時間も280時間を超えてしまいました。休日も心から休まることがなく、いつも何かに追われている感じがあります。

 

先週会社から義務付けられているストレスチェックをやりましたけど、すごくネガティブな回答になってしまいました。嘘をついても仕方ないし、プライバシーには配慮されるとあるのですが、人事部経由で産業医さんからお呼びがかかるかも?

 

僕の愛唱聖句のひとつにヨハネ16−33「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」がありますが、まさに主イエスの言われる通りだなと思います。クリスチャンになったからといって、この世では平穏で幸福な生活が得られるわけではなく、むしろ却って、苦難のほうが多くなると。でもその苦難のひとつひとつには意味と主の御計画があって、最終的には僕らは良き方向に導かれるはずなんだと。そのことを僕は信じていいし、信じられる。だからあなたは絶望せずに、「勇気を出しなさい」、信じて生きていきなさいと。励まされる箇所です。

 

まだまだ当面しんどい局面は続きますが、日々祈って前に進もうと思います。

 

大好きな読書も全然はかどらなくなってしまいましたが、並行してあれやこれやを読んでいます。今読んでいるもの:

 

『境界線(バウンダリーズ)』ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント

『幸福論』カール・ヒルティ (第2巻の途中から進まない!)

『紙の動物園』ケン・リュウ

『労働法入門』水町勇一郎

 

あと、ティモシー・ケラーの『この世界で働くということ』、しばらく前に読了しました。これはとても考えさせられる作品で、僕自身も、今の自分の状況と照らし合わせて「働くということ」について、もう一度考えてみたいと思います。

 

 

今日の読書から: ヘンリー・クラウド『リーダーの人間力』

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とある方から教えていただいた本。タイトルとか副題からは、よくあるHow toもののビジネス本っぽい感じがします。ただ、原題は"Integrity"となっていて、これは「正直、高潔さ、全体が統合されている」といった意味合いです。著者のヘンリー・クラウドはクリスチャンで、キリスト教関係の書籍もいろいろ出しているようです。

 

まだ読み始めたばかりなのですが、ビジネス書でありながら、かなり心の問題を扱っていて、とても聖書的な視点から書かれているなあと思いました。『七つの習慣』と似た匂いがします。例えば、この本で扱われている6つの重要な資質の第1番目が「信頼を確立する」なんですが、ビジネスをはじめ、一般的な社会の中で最も普及しているWin-Winの関係についてこう書かれています。

 

→ この考え方はある意味フェアである。古来からの「目には目を、歯には歯を」である。自分によくしてくれる人にはよくするが、よくしてくれない人は忘れてしまえということだ。結婚生活や人間関係が破局を迎える大半の原因がここにある。男女が愛し合い、惜しみなく与え合う。しかし、そこに生まれる愛情や与えるという行為は「条件つき」だ。お互いが与え合う理由は自分がもらうからだ。自分がありがたいと思うので、「お返し」に与える。相手がくれる限り、こちらも与える。(中略)しかし、私が自分の務めを十分に果たせない時あなたに見捨てられるとすれば、私はいつも怖れ、防御の姿勢でいなければならない。いつ何時あなたの支援を失うかもしれないからだ。かくして人は信頼ではなく、恐怖の中に生きることになる。(中略)本当の信頼は三つめの状態において成り立つ。すなわち、相手からの好意が何にも依存せず、無条件のものであると認識する時である。これはその人のインテグリティの一部である。その人が「何者なのか」であり、相手に最上のことを望み、そのためにできることは何でもしようとする人間性である。それがあれば、恐れるものはない。私がミスをしてもあなたが助けてくれる。私が見ていなくとも、あなたは私のために力を尽くしてくれる。とはいえ、あなたは私の間違いを無視したりはしない。私の不十分なところは、介入したり強い手段に訴えたりして、私に直視させてくれる。

 

引用が長くなりましたが、山上の垂訓をはじめ、聖書のあちこちの箇所が思い起こせますし、ここにある「本当の信頼」というのは、神様と私たちの関係の縮図そのものですよね。ビジネス書はそんなに好きではないのですが、本書は聖書的背景を持って書かれていることがよく分かるので、納得感を持って読み進めています。全部読み終わったら、また全体的な感想を記してみたいと思います。

 

風邪で数日寝込みましたが、病床でそれなりの量の読書ができたことは良かったかなと思います。